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出産ストーリー

あいのり まりっぺの妊娠

初めての妊娠、出産には不安がいっぱい。でもまりっぺは、愛するタクローさんが働く鹿児島で、出産することを決意しました。それを支えてくれたのが、産婦人科医の牛垣由美子先生だったのです。

このインタビュー記事は、2006年1月にここカラダ「みんなの出産ストーリー」で掲載されたものです。

◆お話を伺ったのは…  「まりっぺ」こと、大崎(旧姓・川畑)摩里子さん


26歳。愛知県出身。
歯科助手として働いている時に、フジテレビ「あいのり」に応募し、ロサンゼルスから参加。同番組で知り合ったタクロー(大崎拓郎)さんと結婚後、一児の母に。 現在は、鹿児島で美容師として活躍するタクローさんと、8カ月になる長男の蓮斗(れんと)くんの3人暮らし。

妊娠は2人の夢がひとつ実現した証

2003年に「あいのり」に出演し、運命の人タクローさんに出会って、結婚したのが、 2004年。その年の6月には、妊娠…と、めまぐるしく人生が展開しましたね。

幸せな妊婦時代を思い出して、
ニコニコのまりっぺ

はい。タクローと2人で、新婚生活を楽しもうかな〜と思っていたら、先に赤ちゃんを授かっちゃって、すごくうれしかったです。私、タクローと出会う前、すごく男性不信だったのです。だから番組でも『浮気調査官』なんて呼ばれて(笑)。でも、タクローや他のメンバーと接しているうちに、人を『信じる勇気』が湧いてきて。それにタクローには、『誰にも負けないくらい絆の深い家庭を作りたい』って、結婚前に言われていたから、ドクターに、妊娠を告げられたときも、2人の夢に一歩近づいた、と感激しました。

妊娠中の不安とか悩みとかは?

やはり、自分の母や家族がいる私の地元・愛知に帰ろうかと、悩みました。でも、出産は夫婦2人の仕事だし、タクローに見守って欲しかったので、近所にいい病院がないか、一生懸命に探しました。インターネットやクチコミや新聞、フリーペーパーなど、いろいろな情報を駆使して、やっと見つけたのが、この今村病院で、特に牛垣先生には、妊娠中すごくお世話になりました。お医者さまとして、先輩女性として、わからないことは何でも質問していました。実家の母も「2人目もここで出産しなさい」って、太鼓判を押してくれました(笑)。

エコー画像を見ながら母性が芽生えた

妊娠中、牛垣先生との話で心に残っていることは?

「すっかりお母さんが板に付きました
ネ」と微笑む牛垣先生。

やはり、エコー画像を見ながら、お腹の赤ちゃんの様子を、説明していただいている時が、すごく印象に残っています。2週間ごとに、少しずつ私のお腹の中で育っていく、小さな命のようすを、先生から伺いながら、母としての自覚が芽生えてきたと思います。

牛垣由美子(うしがき・ゆみこ)先生


1968年、鹿児島生まれ。
鹿児島大学医学部を卒業後産婦人科医として今村病院に勤務。現在は、同院産婦人科主任部長。日本産婦人科学会認定医。

今村病院ホームページ

「結婚前後に夫婦で診断」が安全な妊娠・出産の第一歩

まりっぺは、どんな妊婦さんでしたか?

牛垣先生 体重の過剰な増加もなく、妊婦貧血の症状もない、とても優秀な妊婦さんでした。出産時は、里帰りする妊婦さんが多い中、ご主人と一緒に立ち会い出産を希望されて、感動の瞬間を2人で分かち合えたのは、素晴らしい経験だったのでは・・・。

まりっぺのような優秀な妊婦さんになるために、注意するポイントは?

牛垣先生 出産は、妊婦の体に大きな負担がかかるとともに、妊娠糖尿病や子宮筋腫などの病気があると、切迫流産、切迫早産、妊娠中毒症のほか、生まれてくる赤ちゃんにも異常がみられることがあります。このようなリスクを避けるためにも、妊娠前、例えば『結婚』という人生の転機に、ご夫婦が揃って健康診断を受けておくことをおすすめします。

産婦人科医として心掛けていることは?

牛垣先生 診断結果がしっかりと患者さんに伝わるように、なるべくメモや図、イラストを使って説明しています。同じ女性同士、何でも質問してもらえるような雰囲気を作るように努力しています。

構成・文/宇山恵子

(2)「まりっぺの出産」
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「まりっぺの妊娠」。初めての妊娠、出産には不安がいっぱい。でもまりっぺは、愛するタクローさんが働く鹿児島で、出産することを決意しました。それを支えてくれたのが、産婦人科医の牛垣由美子先生だったのです。